HYPER LIFE

双極性障害でセクシャルマイノリティな筆者が日々を綴る

個人が特定できそうなプロフィール ②

小学校

優等生だった小学校時代。
初恋も痴漢被害も中学受験も様々なものを知って成長した。

大好きだった従妹のお姉ちゃんを追いかけて、近所ではなく隣の区の公立小学校に入学。母親からの「いとこのお姉ちゃんと幼稚園の友達とどっちがいい?」という質問にあっさりと「いとこのお姉ちゃん」と答えた私(よく覚えている)。
あっさりと答えた私も私だが、母親の質問のすごさったら!!

後々考えれば、大きな人生の岐路に立った質問だった。

 

私の小学校は、いろんなことを教えてくれた。
親を敬いなさい、先生を敬いなさい。
先生には基本的に最敬礼、廊下ですれ違う時でさえ必ず会釈。
そんなおじぎの仕方から、行進、整列、回れ右。ちょっと軍隊っぽい。
でも当時は子供だったから違和感なんてないし、大人になっても良い経験だったと胸を張って言える。

 

そんな小学校では男の子の友達はもちろん、女の子の友達も大勢できた。
低学年の頃は、やっぱり男子とつるむ方が多かったかな。この頃は、おもしろくてスポーツができる男子や、女子では頭のいい子が人気者になってくる。

私はまだそのどちらにも属していない子だった。

 

2年生になり学級委員制度が始まると、最初は敬遠していたものの、3学期になる頃にはやってみたくてやってみたくて選挙の際には周りの友達に自分を売りまくっていた。
で、当然のように当選。それ以来、6年生まで学級委員はやり続け、また成績も上昇していったので、クラスの中での私の位置は優等生。
だけどそれは、先生の子分に過ぎなかった、と思う。

 

初恋は小5。同じクラスの男の子Aで、いつの間にか惚れていたっぽい。
ドキドキするようになっていたので、あれが初恋。いつも放課後、女子2名vs男子3名で遊ぶというよりけんかして戦っていたのだが、その一人だった。
バレンタインデーで初めて手作りチョコレートを渡したのも彼。

あのとき、作っているところを父に見られ、恥ずかしくて父に渡すものだと嘘をついた。その後、父に「チョコは?」と言われ、「失敗したから食べちゃった。」とまた嘘をついた。

父さん、ごめんよ。生きているうちに謝れなかったね。

 

話はそれたが、バレンタインデーで好きだった男子Aにチョコをこっそりあげたハズなのに、さすが小学生男子。すぐに他のけんか相手だった男子Bから「ぼくのは?」と寂し気に訴えられる。どうやら彼は私に気があった様子。

男の子は好きな女の子に意地悪する、の典型。
男子Aは頭もよく、学級委員にもなる人気者。
対して男子Bは、クラスの問題児でお勉強はイマイチ、行動も問題。
なので学級委員の私とはしょっちゅう席が隣。うんざりしていた。

 

けど、人生は分からないもので、そんな男子Bとはなんと高校時代に少しの期間付き合うのだった。そして今までで一番好きになった男の人かもしれない。ちゃんと伝えられなかったけど。。。(私はバイセクシャルなので、ここでいうのは「身体的・心理的男性枠」としてです。)

 

小学5年生で初めての痴漢に遭う。毎日、通勤ラッシュの電車で通学していたから。
小学校の制服を着て、ランドセルを背負っていながら・・・。
当時、私の学校には電車やバスで通学する子が多く、痴漢に遭う子も多かった。
みんなの話を聞いていたし、私も友達に話したりしていたから、こういうものなのだと思っていた。

が、中1になって、中3の先輩にこの話をしたときに「それってロリコンじゃ。。。」と言われて初めてこれが異常だということに気付いた。
だいぶショックを受けた。
今でも思い出すと気持ち悪くなり、男性が怖くなる。

 

通っていた小学校は進学校でもあったので、9割以上の児童が中学受験に挑む。
もれなく私もその一人で、小4から進学塾に通い始める。
そのために大好きだったガールスカウトを辞めたことが悲しかった。
私のアウトドア好きの原点はこのガールスカウトだ。

 

中学受験での結果は、第一希望は残念。
かなり高い偏差値だったが合格圏ぎりぎり入ったので挑戦してみたが、やっぱりだった。
結局、進学したのは滑り止めの中高一貫の女子校。

だがしかし、この学校こそが、私の人生、私自身を大きく変えるものとなる。