HYPER LIFE

双極性障害でセクシャルマイノリティな筆者が日々を綴る

個人が特定できそうなプロフィール ⑤

大学

せっかく入学したのにすぐ中退

九州の大学に進学。祖父母の家から通学することとなった。初東京脱出。

久々の男女共学。授業はつまらなかった。
解剖生理学の授業だけが楽しくて、実習後の口述試験も一番で終わらせた。

それ以外は新たに入部したバレーボール部に勤しむ日々だった。
私はソウルオリンピック(若者よ、分かるかい?)の頃からバレーボール観戦が大好きで、高校生の頃は、授業が終わると代々木体育館に走って行ったものだ。バスケ部のくせにね。

 

大学でバスケを続けるか迷ったが、新しくバレーボールを習うこととした。
理系大学なのに、サークルではなく体育会系の部活で、週5~6の練習。
おぉ、中高の部活より多い。バスケ部で培われたジャンプ力を買われ、身長もないし初心者なのにアタッカー指名を受けた。難しかったけど楽しかった。

ここでも先輩方は男女とも厳しかったが、部活外ではとっても優しく、大人で、頼りになった。初めての飲み会や、合宿。もう良い思い出しかない。

大学では、バレー部の友達と先輩が全てだった。
一人暮らしの友達が、料金未納で電気・ガス・水道と次々と止められ、ライフラインの停止の順番を知ったのもこの頃。
(これ、女の子よ。シャワー借りに友人宅を放浪してた(笑)楽しかったな)

 

1年生の夏休み。
合宿が終わり、一息つく頃に急速にノイローゼになった。
今でいう鬱だったのだろうか。何もかもが楽しくなくなり、学校に行きたくなくなった。ふさぎこみがちになり、結果、中退。

今この中退を考えると、後悔でいっぱいである。
このまま無事に進学していれば、仕事に大きくつながる国家資格を取れたであろう。
今みたいな社畜ではなかったかもしれない。でももう仕方ない。

 

自宅浪人という遊び人

体重も増加、それでもだらだらはやめられないダメ人間

大学を中退後、しばらくするとタガが外れたように元気になった。
もしかしたら、この頃から双極性障害は始まっていたのかもしれない。

 

自分をセクシャルマイノリティーだと認めたのもこの頃。

初めてちゃんと女性と付き合ってみた。かなりしっくりした。
自分はボーイッシュだったので、フェム系と付き合うかと思えばボーイッシュな年上のお姉さん方に気に入られることが多かった。その後、フェム系ともお付き合いはしますよ。

 

元々目指していた学部へ進学したくて自宅浪人を始めた。
予備校へ行くお金がなかったから。なんて言いながら、バイトしてほとんど遊んでた。
だらだらした生活。体重も一気に増えた。ダメ人間。

 

父の死

そんなダメ人間の最中、突然、父が亡くなった。
病気でもない、事故でもない。犯罪に巻き込まれたでもない。残るはひとつ。。。

 

私の実家は自営業。それが傾いていたようだった。
お葬式の外で「倒産〇〇だろ」と言われている声も聞いた。
今思い出しても涙ぐんでしまう。

私は父に素直になれていなかった。高校生のお父さん嫌い時期をずーっと引きずったままだった。いい加減、仲良くしようと、父の日、子供の頃以来にプレゼントを贈った。

その年に父は亡くなった。

 

お通夜には中高時代の大勢の友達や先生が来てくれた。素直に嬉しかった。
そばで支えてくれたのはやはり中高時代に出会った親友だった。
なんと火葬場まで付き添ってくれ、父の骨を一緒に拾ってくれたのだ。
彼女とも中1以来。ずっとずっと大切にしていこうと思う。

 

それから親戚とのお家騒動を目の前にする。こんなにも人は変わるのかと実感した。
自営業の片付けを一人黙々と続けていた母の後ろ姿は忘れられない。
このとき程、母を尊敬したのは、後にも先にもない。
いや、今も尊敬してるけど。。。