HYPER LIFE

双極性障害でセクシャルマイノリティな筆者が日々を綴る

個人が特定できそうなプロフィール ①

生まれ~赤ちゃん

ハゲタカ赤ちゃん誕生

1970年代後半 東京都の下町で生誕

よく熱を出し、すぐに流行り病にかかり、初産であった両親、私が初孫であった祖父母を心配させるも、よく寝て静かな赤ちゃんとしてすくすく育つ。

髪の毛がなかなか生えず、母親からは未だに当時を「ハゲタカ」と言われている(今はボーボーさ)。あまりに薄毛で寒そうということで、外では赤ちゃん用キャップを被せられていたので、しょっちゅう男の子と間違えられる。

 

幼稚園

同じ名字の人が結婚相手だと信じ切っていた

自宅近所の幼稚園に入園。

同じ組になった同じ名字の男の子を勝手に将来の結婚相手だと思い込む。
というよりむしろ、人は同じ名字同士しか結婚してはいけないルールを自分の中に作っていた幼少期。すごいルールだな。相手には迷惑な話。

 

大人になるまで知らなかったが、男の子or男の子っぽい女の子の友達しかおらず、外遊びが大好き。
かすかな記憶で、雨が降っての内遊びのとき、女の子達からの誘いで好きでもないおままごとに強制参加。いつも犬や猫というヒトではない役を立候補あるいは命ぜられ、たまにヒトであってもお兄ちゃん。お母さん役を取り合う女の子たちの気持ちが分からなかった。

この頃からセクマイ(セクシャルマイノリティ)気味だったのだろうか。いえいえ、当時は自分が男か女かなんて重要でなかった私です。ってかそんな意識あったんだろうか。そもそも生きている意識自体なかったような。。。

 

ちなみに私のゲイ友は、友達の女の子がお母さん、そして自分もお母さん、とお母さん二人体制の新おままごとを楽しんでいたそうだ。ある意味、同性愛者のカップルの姿と言えよう。